Archive [ 200707 ] 記事一覧
横浜!
さて、留学の手続きが終わると、いよいよ大脱出への準備です。高校3年の二学期終業式が終わると(クリスマスイブ)、その足で、前もって契約しておいた横浜根岸のボロアパートへ。アメリカに行く前に、一人暮らしの予行演習と、運がよければ何か英語に触れ合えるバイトでもないかと思って・・・というのは建前で、本音は一刻も早く家から出たかったんです。長かった・・・。よく我慢した・・・。一人、缶ビールで乾杯です。米軍の...
ねこにも出来る留学手続き
当事、群馬の田舎の高校で、卒業後の進路が留学という生徒は前例がなかったそうです。なので、進路指導だかなんだかで留学と言ったら、親も教師も鼻で笑っていました。もとより、誰かに手助けしてもらえるなんて、ハナから思っていませんでしたが。すでに留学斡旋業者はあり、30万だかのお金を払えば面倒な手続きは全部やってもらえる事は知っていたのですが、僕にはそのお金がもったいなかったし、またそれ位の事も自分でできな...
そろそろ留学準備
さて、ブログのタイトル、国を捨てる程の絶望って、読者の皆さんに伝わっているでしょうか?あえてそっけなく書いてますが、それはいろいろ経験して大人になった今だからこう書けるわけで、当時は本当に一歩間違えたら悪の道にはしってたかもしれないです。たまたま運よく、そんな時に友達のお母さんが気づかせてくれるようなことを言ってくれたり、空手バカ一代を読んだり、なにか些細なでも大事な偶然が僕を救ってくれてました。...
とこや?
ヒッピー気取りで髪を伸ばしていたのですが、記事に書いたとおり、すっかりHR/HMにはまっていたので、周りからは相当気合いの入ったロッカーだと思われていたようです。でもバイトと格闘技に夢中で、まだ楽器に触ってなかったんですよね。だから、バンドも組んでないし楽器もできないことを言うと、じゃなんで伸ばしてんの?みたいな。だから、ヒッピーだっつってるじゃん!!!高校時代、友人のひとりに凄いやつがいたんですよ。...
そしてハードロック
中学生の頃から、ヨーロッパやボンジョビといったバンドが好きでしたが、どちらかといえばブルーハーツ、レッドウォリアーズ、シオン、g-scmitt(これは今聴くと無茶苦茶ゴスでドゥームだ)等が中心でした。あるとき本屋に入ると、なにげなくある雑誌を手にとりました。あるギタリストのインタビューですが・・・音楽の話はそっちのけで、子供時代からの生い立ちをインタビュアーが質問しまくり、ギタリストも包み隠さず素直に語っ...
高校時代 4
高校2年の頃には、バイクの免許を取って、乗り回してました。免許をとった理由はいろいろあるけど、簡単に言っちゃうと、時間がもったいない、独立する準備はなんでもしたい、あまりに旅の経験が少ないからアメリカ行く前に日本をよく見ておきたい、というところでした。バイクも好きでしたが(乗っていたのはcbr-88 hurricane)、なにより遠くに行けるのが好きでした。後にアメリカ時代、アメリカンタイプばかりの(当然!!)コ...
高校時代 3
高校では、少林寺同好会に入りました。とにかくバイト優先だったので、同好会というところがちょっとゆるそうで惹かれたんです。少林寺なら、主に打撃での攻防が初手の常套ですが、投げもあるし関節技も閉め技もある、日本拳法と並んで当事気軽に始められる総合格闘技の老舗だったんです。時はまさに第二次uwf全盛時代、いよいよ世間一般に「何だかこれ凄いよ!」というのが浸透し始めた時でした。同時に、町の伝統派の空手道場(...
高校時代 2
さて高校ですが・・・ここで入る高校を間違えてたら、今頃は篠原涼子の先輩になっていたはずですが・・・地元の男子校へ。入試が終わったら、またヒッピー気取りで髪を伸ばす気満々だったので、一番校則の緩やかな所がよかったんです。たまたまその高校は、学生運動の名残みたいな空気が漂っている所で、代々60〜70年代っぽい奴が必ずいるという・・・。とはいえ、生活の基本がバイトにあって、高校には寝に行く生徒だったので...
高校時代 1
さて、中学を卒業すると、高校の入学式を待たずにバイトを始めました。もう本当に、4月の1日とか2日とかから働き始めました。ディッシュウォッシャーが無い時代の居酒屋の洗い場って、想像できます?そりゃもう、大変ですよ(笑)!最初の3ヶ月、一日も休まず働きました。オーディオセット、欲しかったんですよ。オーディオ買ったらcd買わなきゃならないし、服だの何だの、もうとにかく働きました。時には2〜3掛け持ちしたり...
中学3年
先輩というくだらないクビキから開放された我々は、またあの愉快な仲間たちに戻っていました。そりゃ、まったく同じってわけにはいかないけど。校舎のすぐ横が川なので、休み時間に素手で魚捕まえたり、またサッカーしたり(余談ながら、当時はセリエaでもプレミアリーグでもなく、皇帝ベッケンバウアー率いるブンデスリーガが世界最高といわれてました)。最後の文化祭の前夜、狂ったようにブルーハーツのリンダリンダを皆で歌い...
ジョン・レノン或いはヒッピー
小学校5年の時くらいから新聞を読み始めて(当時第二次中曽根内閣発足の前に二階堂擁立劇というのがあり、安部総理のお父さんが宮沢、竹下と並んでニューリーダーと呼ばれていた時代で、記事が時代劇みたいで面白かったです)、まだジョン・レノンが亡くなってまもなっかたので、クリスマス頃には毎年ジョン、60年代、ヒッピーの特集があったものです。確か一番最初にジョンのことを知ったのは(そりゃビートルズの曲はそこらじ...
中学時代 2
さて、その頃家庭はと言うと・・・母がぐれました(爆)!夜遊びをするようになった程度ですが。おかげで、顔を合わせる時間がちょっと減ってよかったです。姉とはもう、何もないですよね。父も滅多にみないし。妹のことに触れずにきてしまいましたが、こんな家庭での妹の処世術は、とにかく母と姉にぴったりとくっついている事だったので、やはりもとより交流はなかったです。食事の半分位を自分でつくり、ドラえもんの部屋の様な...
中学時代 1
さて、生まれて初めて子供らしく”友達と遊ぶ”経験ができた素敵な小学5〜6年生が終わり、中学に進学するわけですが・・・いやあ、1〜2年の時はつまらなかったし、殆どすべてがばかばかしかったですね。時代が、もうヤンキー全盛で、田舎の中学なんていったら5割のヤンキーと3割のなんちゃってヤンキーと2割のその他、みたいな。学級崩壊が今問題になってますが、いやもう当時から崩壊してるよ何言ってるのもうっ...
現実に対する非現実感
そろそろ中学生編に突入ですが、その前に書き残したことというと・・・当時肉が食べられなかったです。肉をかみしめた途端、頭の中に生きた動物に噛み付いている自分のイメージが浮かんで、気持ち悪くなり、反射的に吐いてしまうのです。鼻血もよく出してました。それは、いまもそうか。自分が今ここにいるということに、確信を持てない感覚、胡蝶の夢の様に、あるいは都市伝説ドラえもんの最終話の様に、これ本当は誰かが(あるい...
プロレス
僕が5〜6年生の時は、プロレス全盛期でした。家庭に男性がいなかったので、男の生き様みたいのを、プロレスから学んだ気がします。長州力の「俺は咬ませ犬じゃないぞ!」発言からの一連の”革命”は、上に楯突こうが何だろうが、とにかく生きるんだ、自分の居場所は自分で作るんだという強烈なメッセージを送ってくれました。またそれは、猪木や会社からみたらそりゃちょっととなるわけで、ああまるでガンダムみたい...
ちなみに
これを読んでくれているかもしれない、若い人達へ。 常にフラストレーションが溜まる環境にいると、人間どうしても怒りっぽくなります。僕もそうでした。高校を卒業するまでの写真を今見ると、まるで顔つきが違います。我ながら、こわいです。妖気が漂ってそう。これじゃ、幸せにはなれないだろ、幸せが逃げていくだろ、悪運ばかり自分で招いてしまうだろ、と今だからわかります。あなたは、いつも怖い顔してピリピリしてる人と、...
バカ?独学!
この時期、町内会の少年野球やクラスの壁新聞など、家の外で居場所を作り始めるのですが、たまに母や姉から僕の話を聞かされた友達からお前はおかしいだの、お前はバカだ、だの言われるのがいやでしたね。説明しても無駄だから、投げやりに流してましたけど。そりゃねえ、夏休みになれば海に2回も3回も行って(群馬は海なし県)、正月にはお年玉をたんまりもらい、ちょっとねだればすぐファミコン買って貰えるようなやつ等には、...
少女まんが
親戚のお姉さんが、大量にまんがを置いていってくれたことがありました。金は無い、テレビもチャンネル権は無い、娯楽といえば本屋で立ち読み、という当時の僕は、貪る様に読みまくりました。エイリアン通り、サイファ、月は東に日は西に、ここはグリーンウッド、カリフォルニア物語、バナナフィッシュ、銀曜日のおとぎばなし、イティハーサ、その他もろもろ。なかでも、空のオルガンには泣きました。どこか再発してくれないかなぁ...
価値基準
さっきの記事にもあるとうり、母はその時の気分で言う事が変わるのが、一番いやでした。普通子供は、親をみて最初の価値観を築いていくとおもうのですが、父はいないし、母は言う事が混乱しているし。で、ウチは親戚付き合いが殆ど無かったので、そういうインプットもなし。家族でどこか出かけるときも、必ず姉とケンカになるからという理由で、いつも一人家でお留守番です。中学の時でしたか、親戚の誰かが亡くなったというので、...
母との確執
小さいころ、一家団欒など無い家で(本当に記憶にない)、姉は荒れに荒れてました。まあ、時代も、積み木くずしとか湘南爆走族とかそんな時代だったし。夜の校舎、尾崎豊を歌いながら窓ガラス割ってまわったり。で、よく姉がストレス発散のためにケンカを吹っかけてくるのですが・・・面倒くさくて無視していると母が「お前が黙っているから姉が調子にのるんだ。ちゃんと言い返してだまらせろ!」と。無茶ですよね。母も、子供たち...
小学校5〜6年 2
この時期、姉に殺されそうになった事があります。 当時、実家の割烹居酒屋でバイトをしていた大学生のお兄さんが、僕の孤独っぷりをみて、インコをプレゼントしてくれたんです。犬か猫がよかったんだけど、飲食店だから毛が混じるといけないという事で、インコ。いやぁ、可愛がりましたねえ。ある時、姉が面白半分でそのインコに水を掛けたんです。僕、大概の事はなげやりに受け流すのですが、こういうのには・・・キレました!!...
小学校5〜6年 1
3〜4年生の時は本当に思い出が無いですね。せいぜいが担任の先生、女性なのに食いしん坊だな、ぐらいで。5年生の時、最初のクラス変えで乱暴なやつ等が集まったクラスで、凄く嫌だったんですが、夏休み前後に生徒数が増えたか減ったかして、もう一度異例のクラス変えがありました。これが大当たり!!この当時までで、生まれて初めて人生楽しいと思えた時期です。当時、筋肉マンとキャプテン翼が流行っていて、放課後はみんなで...
幼少期 3
小学校1〜2年の担任は小島先生というやさしい先生でした。家庭訪問の時、僕の事を何か褒めてくれるんじゃないかと、盗み聞きしていたら・・・「お宅のお子さんは、よくいえば静かないい子です。でも、子供なのに静かすぎます。まるで老人の様です。」 先生も何かおかしいと気付いて、心配してくれたんでしょう。家は、父は外で後の再婚相手と青春してたし、姉は早くもぐれてたし、母はそんなこんなでヒステリーだし、まあ会話は...
幼少期 2
実家が割烹居酒屋、みたいのをやっていて、うるさくて眠れたもんじゃないし、というか生活するスペースがそもそもなかったような・・・で、実家の裏手にあったおばあちゃんの家に入り浸ってました。たまに、おばあちゃんが何かの用事でいない時は実家で寝るのですが、ふすま一枚隔てた向こうはドンちゃん騒ぎで・・・父は「本当に眠かったらどこででも眠れるんだ!」と無茶を言ってましたね。両親はずっと働いていて、小さい頃は本...
幼少期 1
子供の頃・・・もう遥か昔に感じますね・・・結構忘れたいなと思う事は、無意識的に忘れられる方みたいで。ひとつ、エピソードがあります。あるとき、父がいきなり「家族とは血の繋がった他人だ」と言って、子供心に”子供に対して何シビアな事言い出すんだ”と思ったんですよ。そしたら、そのずっと後、僕が高校生の時父から「お前が子供の時いきなり家族は血の繋がった他人だ、なんて言い出すから、びっくりしたぞ!」と言われて・...
それでは
では、まず僕の半生を軽くまとめてみましょう。しかし、色々な本で、ブログには個人情報を特定できる様な記述は避ける様に書いてあるので、ネット初心者の僕は素直にぼやかして書いてみます。1972年群馬県に生まれる。家庭がまったく機能していなかったので、本、漫画、動物、プロレスにのめり込む無口な少年時代を過ごす。父親に無理やり始めさせられた柔道をきっかけに、空手や少林寺拳法を始める。高校卒業後、アメリカに留...


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